「笑ってばかりの人」って信用できないな。

 

喜怒哀楽の感情の中で、怒と哀の感情がない人、他人と共有しない人が怖い。

怖いは言い過ぎで本当は深く仲良くなれないくらいの気持ちなんだけど、これは前々から思っていたけど最近この考えが強くなってきた。

 

まず「怒」について。

 

僕は結構つまらないことでもプンプンするし、それをそうとうな頻度で発散している。
ブログをご覧いただいている皆さんならお分かりでしょうが・・・

 

 

dharma.hatenablog.jp

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別に怒りを同意してくれなくていいのだ。
ただ「なんでこいつ怒ってるんだろ?」みたいに思ってほしくないのだ。
その感情を持つことに対して理解をして欲しい。

 

次に「哀」について。

 

この感情がない人はいないと思う。
余談だが、ポジティブの定義は「哀の感情から立ち直るのが早い」だと思っている。

 

この感情が関わる話を他人に共有したくないって感情はみんなあると思う。
ただ、これを共有されているときは僕は嬉しい気持ちになるんだわな。

 

信用されていると思うからだろうか。
僕がこういう話題は信用できない人には話さないからだろうか。

 

 

「喜」と「楽」は誰とでも共有できる。それこそ「気楽」に。
ただ、苦楽を共にする結婚相手や交際相手には「怒」と「哀」の感情の「度合い」が大きい人がいいなぁと思う。

 

 

言葉遊びも決まった(のか?)ところで今回はネタを下げさせていただきます。
それではまた。だーまでした。

 

 

PS.ノエル兄さん!リア充山の麓まで来てます。

 

▼タイトルはここから取った。


踊ってばかりの国『ほんとごめんね』PV(フルサイズ)

 

 

喜怒哀楽ロボット

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